心穏やかに生きる仏の智慧「正見」
心穏やかに生きる仏の智慧「正見」
人生を、よりよく生きる考え方の一つとして「プラス思考」は、大切なことですね。
では、仏教は「プラス思考」なのか?
それについて、仏のさとりを求める道に「八正道(はっしょうどう)」が教えられています。
その第一に「正見(しょうけん)」があげられ、「正しく見る」、ありのままに見ることが正見です。
「正」という字は、「一」(ひとつ)に「止」(とまる)と書くように、正しいものは、たった一つということ。
名探偵コナンに言わせれば「真実はいつも一つ!」となるでしょうか(^o^)
私の目の前にあらわれる事象、現象、出来事のありのままのすがたは、たった一つ。
それに対する見方、考え方、思いの持ち方は、千差万別、いろいろあるということです。
コップのたとえ
ちょっと説明口調になってしまったので、一例をあげると、コップに水が半分入っています、それを見た時に、いろいろ思います。
(1)水が半分しか入っていないじゃないか!
(2)水が半分も入っているぞ!
(3)誰かが私のために水を半分、残してくれたんだ!
(1)から(3)で「正見」は、どれでしょうか?
「ありのままに見る」のが「正見」ですから、(1)から(3)は、いずれも「正見」ではありませんね。
ちょっとひっかけ問題でしたが、
「正見」の答えは、「コップに水が半分入っている。ただそれだけ」です。
(1)は、半分しか入っていない!と文句を言っています。
(2)は、半分も入っていて、ラッキー!と思っています。
(3)は、誰かが私のために、半分残してくれたんだ!と感謝までしています。
超プラス思考なら(3)が答えとなるでしょうね。
コップのたとえなら、分かりやすいと思いますが、自分の身の上に起きた出来事、事象について、自分の思いを一切入れずに「ありのままに見る」ことは、とても難しいです。
アイスのたとえ
学校から帰って、カップアイスを食べようと思って冷凍庫をみたら、半分食べられていました。これは事件です!
(1)半分、誰が食べたんだ!妹に違いない(プンプン)
(2)半分は、残してくれたんだ。全部食べられなくてよかった(ホッとする)
(3)いつもなら全部食べてしまう妹が、私のために半分残してくれるまで、成長し、優しくなったんだなあ(妹の成長を祝福する)
私なら、間違いなく(1)ですね(苦笑)。
正見は、「アイスが半分ある」ただ、それだけです。一喜一憂することなく、心は穏やかです。
「自分が食べるためのアイス」という時点で、「思い」が入っていますから、正見は、無理ですね。
しかも、思いが強ければ強いほど、「思い」が「重い」と言われるように、思い通りにならなかった時、ネチネチ文句を言いだして面倒くさい人になってしまいます。
自分の思いを一切入れないことは、煩悩一杯(欲や怒りや愚痴の心一杯)の私達には、到底できないことでしょうから、
何か思ってしまうなら(1)から(3)のどんな思いをもてば、人生をよりよく生きていけるかを考えたいですね。